義母が亡くなった。
生きているときに悪口を書くのも嫌で、亡くなったらますます嫌なんだが
私が病気になったこと。
病気が重くなったことと、非常に関係している。
そして、思い出したくもないあまりに多くの思い出がある。
一言で言うと、彼女ほど私を人間としての尊厳を傷つけ、そしてそれを知らん顔し、ぐーすか眠っていた夫への不信感が生きていく力をあまりにも奪った10年ほどだった。
それでも、義姉のやり方はあまりに可哀想で、両親が元気なとき、大阪に来て、一緒に住もうかと話したこともある。
義姉は面倒なんかみることない。
その代わり財産は全部もらうって言う人だったから、
義父や義母がかわいそうに思ったから。
結局、二人とも看病などはろくろくしてもらえず、施設の中で寝たきりを数年して、衰弱して亡くなってしまった。
義父が倒れたあと、おむつで用を足すのがつらい。手伝って欲しいといったとき、
義母も義姉も
倒れたもんがわるいんやけ、あきらめな。
と放置した。
私は手伝ってあげたかったが、ずっと面倒を見るわけではないので、結局、義母や義姉の言うことに逆らえなかった。
一時期、私達と住んでもいいかも。っと思っていたところもあるのだが、財産が欲しい義姉は強烈だったんだろう。。。。
財産なんて大してないのに。
もし、こちらの呼んで暮らしていたら、義父や義母はもう少し楽しい人生を歩めたかもしれない。でも、私の精神はどれほどのストレスを抱えたか分からないし、少なくとも、もっと絶望感に満ちた毎日だったろうと思う。
義父のお葬式も義母のお葬式も結局いけなかった。
親戚の中の叱責が聞こえるようだ。
そうだ、私が悪いんだ。
どんなに辛い思いをしても、嫁として頑張らなければならなかったのだろう。
どんなに悪く言われてもいい。
二度と会いたくない。
あんな非常識な人たちの常識に振り回されるのはごめんだ。
そして、またあんな不条理な意味の分からない言葉の中にいたら、
私はまた自分を殺してそれによって清算したくなる気がする。
私は死ぬわけには行かない。
死なないように、無理しないように、まだまだそうやって生きているのだ。
それを理解してくれる人なんていない。
主治医は無理をするなといつも言う。
今回も無理をしなかった。
小さな無理ではなく、とても抱えきることなど出来ないほどの無理だったから。
結果として、私はいつもとんでもない人なんだ。
何をしても、何を努力しても、悪者は悪者。
今回無理していっても、あなたは何故そんな悪者なんだと詰め寄られたかもしれない。
そんなこと、何も生まない。
私は財産なんか要らない。
ただ、義父も、義母もとても辛い中で亡くなったことが可哀想なだけだ。
義母にいたっては、住んでいた家はもうかなり前に義姉の娘の家となり、母のお金でリフォームをし、骨になっても帰る家なんてないんだ。
姉はお金はもうない。の一点張り。
そんなに僅かなお金がほしいですか。
私はある年、強く決意した。
もう、ここには二度と来ない。と。
自分が辛い思いをするだけでなく、子供たちにまでひどいことをする人たちだから。
惨めで悲しくて、もうここには誰に何を言われても二度と行かないということを絶対に忘れてはならないと深く心に刻もうとした。
だからといって、葬式に行かないのはどうかと思うというのが一般的なんだろう。
大人のすることじゃないんだろう。
もし、健康なら、割り切って行っただろうと思う。
でも、今は自分が弱いから、悲しいくらい自分が辛いから、とても行けなかったのだ。
こんな自分が情けなくて、悲しくて、悔しいのは私なんだ。
ただの我侭の非常識女と言われても、そうするしか今の弱い私にはできない。
そして、義母や義姉が私にいかに我侭に、非常識に振舞ってきたことを知る人は夫だけなのに。
今回子供たちも行かなかった。
行けば子供たちが嫌な思いをすることを懸念して、夫はつれては行かなかった。
早く日にちが過ぎて、忘れてしまいたい。
生きているときに悪口を書くのも嫌で、亡くなったらますます嫌なんだが
私が病気になったこと。
病気が重くなったことと、非常に関係している。
そして、思い出したくもないあまりに多くの思い出がある。
一言で言うと、彼女ほど私を人間としての尊厳を傷つけ、そしてそれを知らん顔し、ぐーすか眠っていた夫への不信感が生きていく力をあまりにも奪った10年ほどだった。
それでも、義姉のやり方はあまりに可哀想で、両親が元気なとき、大阪に来て、一緒に住もうかと話したこともある。
義姉は面倒なんかみることない。
その代わり財産は全部もらうって言う人だったから、
義父や義母がかわいそうに思ったから。
結局、二人とも看病などはろくろくしてもらえず、施設の中で寝たきりを数年して、衰弱して亡くなってしまった。
義父が倒れたあと、おむつで用を足すのがつらい。手伝って欲しいといったとき、
義母も義姉も
倒れたもんがわるいんやけ、あきらめな。
と放置した。
私は手伝ってあげたかったが、ずっと面倒を見るわけではないので、結局、義母や義姉の言うことに逆らえなかった。
一時期、私達と住んでもいいかも。っと思っていたところもあるのだが、財産が欲しい義姉は強烈だったんだろう。。。。
財産なんて大してないのに。
もし、こちらの呼んで暮らしていたら、義父や義母はもう少し楽しい人生を歩めたかもしれない。でも、私の精神はどれほどのストレスを抱えたか分からないし、少なくとも、もっと絶望感に満ちた毎日だったろうと思う。
義父のお葬式も義母のお葬式も結局いけなかった。
親戚の中の叱責が聞こえるようだ。
そうだ、私が悪いんだ。
どんなに辛い思いをしても、嫁として頑張らなければならなかったのだろう。
どんなに悪く言われてもいい。
二度と会いたくない。
あんな非常識な人たちの常識に振り回されるのはごめんだ。
そして、またあんな不条理な意味の分からない言葉の中にいたら、
私はまた自分を殺してそれによって清算したくなる気がする。
私は死ぬわけには行かない。
死なないように、無理しないように、まだまだそうやって生きているのだ。
それを理解してくれる人なんていない。
主治医は無理をするなといつも言う。
今回も無理をしなかった。
小さな無理ではなく、とても抱えきることなど出来ないほどの無理だったから。
結果として、私はいつもとんでもない人なんだ。
何をしても、何を努力しても、悪者は悪者。
今回無理していっても、あなたは何故そんな悪者なんだと詰め寄られたかもしれない。
そんなこと、何も生まない。
私は財産なんか要らない。
ただ、義父も、義母もとても辛い中で亡くなったことが可哀想なだけだ。
義母にいたっては、住んでいた家はもうかなり前に義姉の娘の家となり、母のお金でリフォームをし、骨になっても帰る家なんてないんだ。
姉はお金はもうない。の一点張り。
そんなに僅かなお金がほしいですか。
私はある年、強く決意した。
もう、ここには二度と来ない。と。
自分が辛い思いをするだけでなく、子供たちにまでひどいことをする人たちだから。
惨めで悲しくて、もうここには誰に何を言われても二度と行かないということを絶対に忘れてはならないと深く心に刻もうとした。
だからといって、葬式に行かないのはどうかと思うというのが一般的なんだろう。
大人のすることじゃないんだろう。
もし、健康なら、割り切って行っただろうと思う。
でも、今は自分が弱いから、悲しいくらい自分が辛いから、とても行けなかったのだ。
こんな自分が情けなくて、悲しくて、悔しいのは私なんだ。
ただの我侭の非常識女と言われても、そうするしか今の弱い私にはできない。
そして、義母や義姉が私にいかに我侭に、非常識に振舞ってきたことを知る人は夫だけなのに。
今回子供たちも行かなかった。
行けば子供たちが嫌な思いをすることを懸念して、夫はつれては行かなかった。
早く日にちが過ぎて、忘れてしまいたい。
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