コメントをつけようと思ったけど、長くなりそうなので、自分の日記で。。。。
本当に悩み深いところですよね。。。。
先日おっしゃってた人との付き合い、距離とも関係する気がします。
人として、どう生きて、どう接するか、
そういう基本的なことを私たちの世代、いやもう少し上の団塊の世代も分からないし、教えてこなかったんじゃないでしょうか。
医者にしても教師にしても、友人にしても
信頼関係がなくしてはたんなる知り合いに過ぎず、
人間関係をもち、助け合ったり、教えあったりする中で
どこか自分が正しい。自分だけがよければよい。
自分のとこの子供に口出ししないで欲しい。
でも、助けてくれるなら利用したい。
そういう人が本当に多いと思うのです。
うちの子供たちは障害はありません。
でも、疑えばそうかもしれない。。。と思うところもあり、
そして間違いなく、私は子育ての成功者ではありません。
子供に必要以上に興味を持つことを恐れてきた。
子供は子供の人生なんだから。。。別人格なんだから。。。
と隣のおばちゃん的に接してきすぎました。
最初は違っていました。
自分が母親になったときは、希望もいっぱい不安もいっぱい。
無我夢中でした。
それが、お医者さんだったり、保健婦さんだったり、近所のお母さんだったり、、、、
それぞれが正しいと思うこと言ってくれている。
それは分かるのだけど、
自分の中で自分に自信がなくなってきた。
あなた育児書読んでないの?子供にあれだめ、これだめって言っちゃいけないのよ!
は???
ではしつけはしないんすか??
自分の子供さえよければいい。そんなお母さんも公園にはたくさんいた。公園から外を走る車に石をなげていた子供たちを
こら!!そんなんしたらあかん!!
と怒ってしまったら、人の子供に口出しして。。。。
と総スカンをくらったり。。。。
公園の木を引っこ抜いてそれを怒ったら、
自分のうちの観葉植物にはしないでしょ。公園はいいのよ。
そういう人が図書館の本を破ったりするのだ。。。。
そんな我侭なお母さんたちと接する先生やお医者さんも
だからゆえに変わって来ているんじゃないだろうか。。。。
人は誰も完璧じゃない。
人は誰も一人では生きられない。
支えて、支えられて生きている。
それは赤ちゃんも老人も若者も、健常者も障害者もみんなそうだ。
人は必ず老いるし、いつ障害者になるかもわからない。
自分が健康な大人だからと自分の子供が健康だからと
知らん顔をしてはいけないと思うんだ。
その人その人、田舎だったり、都会だったり、一人暮らしだったり、大家族だったり、働いていたり、病気だったり、
同じ症状でも、原因も違うし、解決法も対処法も全て違う。
本当はその人のそういう環境をすべて理解して、歴史もすべて理解してアドバイスしてくれる医者や、学校の先生が一番いいんだと思う。
それでもアドバイスであって、決めるのは
子供だと思う。
お母さんにむりやりさせられたと思わないように、あなたが望んでやったんじゃない。でも、お母さんにも責任あるね。一緒に考えようね。。
といえるように、色んなアドバイスを参考にしながら、子供がどうしたいのか、、、を一緒に失敗しながら、取り組んでいければいいんじゃないかと思う。
そして、周りのおかあさんたちがみなそうであれば、
変な競争も起こらないし、本当の意味の個性を大事にできると思うんだ。
小学生の時代は小学生でないと経験できない。
塾にばかり頼って、学校に来ないなんていうのは子供から自由を奪っていると思う。
そこまでしないと入れない学校なら、出ても大したことは出来ずにどこかでつまづくと思う。
逆に、お箸の持ち方や、鉛筆の持ち方は本人がどうしても直したければ、大人になっても直すことは出来る。
私が子育てを失敗したと思うのは、
面倒見のいい、隣のおばちゃんであって、
がっぷり四つに子供と接して来られなかったことだ。
そういうお母さんたちに圧倒されて、
しんどくなってしまったのだ。
そして、今も人が怖い。
人間関係を作れない。
リアルで作ろうとした人は
みんな私から離れていく。。。。。。
きっと私は人の心にづかづかと入っていってしまうのかもしれない。
私はひどく寂しがりやなので、人もそうだと思ってしまうところがある。。。。
ま、自殺ばっかやってりゃ、人は怖くなるわな〜〜〜〜
それも自殺して興味をひきたいの??
みたいな感じで思われる。。。。。
私が死のうと決めたときは、いつも、携帯の中味も全部けして、
全てを断ち切って、死のうと思うんだ。。。。。。。。。。
ぷちODは違うけどね。。
本気で死のうと思うというのは、本気で死のうと思った人にしかわからないと思う。本気で死にたいとは少し違う。
そんな風に何でも、人のことは分かるようで分からない。
それを大前提でみんながそれでもお互いを思って付き合っていけばいいんじゃないかな。。。。。
どうしていいか。。。。は誰もわからない。
助けてくれる人はいても代わってくれる人は誰もいない。
親学、とか、教育再生とか言ってるけど、
学閥があって、高等教育うけた人間しか認めないって政治がいってたら、そんな人に再生なんてできないよ。
走るのが速いとか、字がすごく上手いとか、絵をかかせたらすごいとか、人には必ず何かあるものだもの。。。
それを直接仕事に結び付けれる人は少ないと思うけど
営業成績はたいしたことないけど、
宴会には欠かせない人。
でもいいんだと思うんだ。。。
退職金を何億ももらった人と、平凡だけど、優しい孫に囲まれて信じれる友人をたくさん持つ人と、どちらが幸せか。。。
そう思えば、退職金を何億ももらえる人になることを目標とするようなことではなくて、
人と自分は違うんだ。
でも、どっちが正しいとかどっちが良いとか
そういうのは分からない。
両方、正しいんだ。
選ぶのは自分。責任を持つのも自分。
そして助けてあげるのも自分。
そういうことを教育の目的にしたら、、、
あとは勉強したい子はしたらいい。
ただ、成長過程において、勉強は一番自分の目標設定や、そのクリアもしやすいものの一つだと思うし、やっておいて、邪魔にはならないというか、広く浅く学んでおくのはその後の人生の選択もしやすくなると思う。
だから、やれる子はやったらいい。
どうしても、音楽を極めたいとか、サッカーに命をかけたい
という子はやったらいいと思う。
もし、出来るなら、学生生活を楽しむ。勉強も頑張る。そして極めたいことを頑張る。
それができるなら、一番いいんだけどね。。。。
笑顔で人を幸せに出来る子だって、すごい才能だと思う。
難しいね。。。
ほんまに。。。。
私は障害者です。
なので、うちの子供も多感な時期にえらい迷惑を受けてます。
でも、私は身体ではないので、いつか健常になれるかもしれません。
でもでも、子供の心の傷はきっと一生残ると思います。
その子供の親は私です。
誰も人のことはわからないけど、、、
分かろうとする、分かったつもりで話す。
それを止めてしまったら、分かり合えないと思うのです。
みんなでもっと一歩さがりながら、かかわりあえるようになればいいね。。。。
自分にして欲しいことをしてあげる。
でも、必ず喜ばれるとは限らない。
自分にして欲しくないことはしない。
これはたいていそうだ。。。。
ま、そうやっていれば戦争もなくなって、世界中が平和になるなんてあるわけないし。。。。
人間は頭打ちながら、生きていくもんなんかな。。。
むむむ
むっつかし〜〜
本当に悩み深いところですよね。。。。
先日おっしゃってた人との付き合い、距離とも関係する気がします。
人として、どう生きて、どう接するか、
そういう基本的なことを私たちの世代、いやもう少し上の団塊の世代も分からないし、教えてこなかったんじゃないでしょうか。
医者にしても教師にしても、友人にしても
信頼関係がなくしてはたんなる知り合いに過ぎず、
人間関係をもち、助け合ったり、教えあったりする中で
どこか自分が正しい。自分だけがよければよい。
自分のとこの子供に口出ししないで欲しい。
でも、助けてくれるなら利用したい。
そういう人が本当に多いと思うのです。
うちの子供たちは障害はありません。
でも、疑えばそうかもしれない。。。と思うところもあり、
そして間違いなく、私は子育ての成功者ではありません。
子供に必要以上に興味を持つことを恐れてきた。
子供は子供の人生なんだから。。。別人格なんだから。。。
と隣のおばちゃん的に接してきすぎました。
最初は違っていました。
自分が母親になったときは、希望もいっぱい不安もいっぱい。
無我夢中でした。
それが、お医者さんだったり、保健婦さんだったり、近所のお母さんだったり、、、、
それぞれが正しいと思うこと言ってくれている。
それは分かるのだけど、
自分の中で自分に自信がなくなってきた。
あなた育児書読んでないの?子供にあれだめ、これだめって言っちゃいけないのよ!
は???
ではしつけはしないんすか??
自分の子供さえよければいい。そんなお母さんも公園にはたくさんいた。公園から外を走る車に石をなげていた子供たちを
こら!!そんなんしたらあかん!!
と怒ってしまったら、人の子供に口出しして。。。。
と総スカンをくらったり。。。。
公園の木を引っこ抜いてそれを怒ったら、
自分のうちの観葉植物にはしないでしょ。公園はいいのよ。
そういう人が図書館の本を破ったりするのだ。。。。
そんな我侭なお母さんたちと接する先生やお医者さんも
だからゆえに変わって来ているんじゃないだろうか。。。。
人は誰も完璧じゃない。
人は誰も一人では生きられない。
支えて、支えられて生きている。
それは赤ちゃんも老人も若者も、健常者も障害者もみんなそうだ。
人は必ず老いるし、いつ障害者になるかもわからない。
自分が健康な大人だからと自分の子供が健康だからと
知らん顔をしてはいけないと思うんだ。
その人その人、田舎だったり、都会だったり、一人暮らしだったり、大家族だったり、働いていたり、病気だったり、
同じ症状でも、原因も違うし、解決法も対処法も全て違う。
本当はその人のそういう環境をすべて理解して、歴史もすべて理解してアドバイスしてくれる医者や、学校の先生が一番いいんだと思う。
それでもアドバイスであって、決めるのは
子供だと思う。
お母さんにむりやりさせられたと思わないように、あなたが望んでやったんじゃない。でも、お母さんにも責任あるね。一緒に考えようね。。
といえるように、色んなアドバイスを参考にしながら、子供がどうしたいのか、、、を一緒に失敗しながら、取り組んでいければいいんじゃないかと思う。
そして、周りのおかあさんたちがみなそうであれば、
変な競争も起こらないし、本当の意味の個性を大事にできると思うんだ。
小学生の時代は小学生でないと経験できない。
塾にばかり頼って、学校に来ないなんていうのは子供から自由を奪っていると思う。
そこまでしないと入れない学校なら、出ても大したことは出来ずにどこかでつまづくと思う。
逆に、お箸の持ち方や、鉛筆の持ち方は本人がどうしても直したければ、大人になっても直すことは出来る。
私が子育てを失敗したと思うのは、
面倒見のいい、隣のおばちゃんであって、
がっぷり四つに子供と接して来られなかったことだ。
そういうお母さんたちに圧倒されて、
しんどくなってしまったのだ。
そして、今も人が怖い。
人間関係を作れない。
リアルで作ろうとした人は
みんな私から離れていく。。。。。。
きっと私は人の心にづかづかと入っていってしまうのかもしれない。
私はひどく寂しがりやなので、人もそうだと思ってしまうところがある。。。。
ま、自殺ばっかやってりゃ、人は怖くなるわな〜〜〜〜
それも自殺して興味をひきたいの??
みたいな感じで思われる。。。。。
私が死のうと決めたときは、いつも、携帯の中味も全部けして、
全てを断ち切って、死のうと思うんだ。。。。。。。。。。
ぷちODは違うけどね。。
本気で死のうと思うというのは、本気で死のうと思った人にしかわからないと思う。本気で死にたいとは少し違う。
そんな風に何でも、人のことは分かるようで分からない。
それを大前提でみんながそれでもお互いを思って付き合っていけばいいんじゃないかな。。。。。
どうしていいか。。。。は誰もわからない。
助けてくれる人はいても代わってくれる人は誰もいない。
親学、とか、教育再生とか言ってるけど、
学閥があって、高等教育うけた人間しか認めないって政治がいってたら、そんな人に再生なんてできないよ。
走るのが速いとか、字がすごく上手いとか、絵をかかせたらすごいとか、人には必ず何かあるものだもの。。。
それを直接仕事に結び付けれる人は少ないと思うけど
営業成績はたいしたことないけど、
宴会には欠かせない人。
でもいいんだと思うんだ。。。
退職金を何億ももらった人と、平凡だけど、優しい孫に囲まれて信じれる友人をたくさん持つ人と、どちらが幸せか。。。
そう思えば、退職金を何億ももらえる人になることを目標とするようなことではなくて、
人と自分は違うんだ。
でも、どっちが正しいとかどっちが良いとか
そういうのは分からない。
両方、正しいんだ。
選ぶのは自分。責任を持つのも自分。
そして助けてあげるのも自分。
そういうことを教育の目的にしたら、、、
あとは勉強したい子はしたらいい。
ただ、成長過程において、勉強は一番自分の目標設定や、そのクリアもしやすいものの一つだと思うし、やっておいて、邪魔にはならないというか、広く浅く学んでおくのはその後の人生の選択もしやすくなると思う。
だから、やれる子はやったらいい。
どうしても、音楽を極めたいとか、サッカーに命をかけたい
という子はやったらいいと思う。
もし、出来るなら、学生生活を楽しむ。勉強も頑張る。そして極めたいことを頑張る。
それができるなら、一番いいんだけどね。。。。
笑顔で人を幸せに出来る子だって、すごい才能だと思う。
難しいね。。。
ほんまに。。。。
私は障害者です。
なので、うちの子供も多感な時期にえらい迷惑を受けてます。
でも、私は身体ではないので、いつか健常になれるかもしれません。
でもでも、子供の心の傷はきっと一生残ると思います。
その子供の親は私です。
誰も人のことはわからないけど、、、
分かろうとする、分かったつもりで話す。
それを止めてしまったら、分かり合えないと思うのです。
みんなでもっと一歩さがりながら、かかわりあえるようになればいいね。。。。
自分にして欲しいことをしてあげる。
でも、必ず喜ばれるとは限らない。
自分にして欲しくないことはしない。
これはたいていそうだ。。。。
ま、そうやっていれば戦争もなくなって、世界中が平和になるなんてあるわけないし。。。。
人間は頭打ちながら、生きていくもんなんかな。。。
むむむ
むっつかし〜〜
コメント
だからゆえに変わって来ているんじゃないだろうか。。。。
それは、おおいにあると思います。
子供に注意したら、怒鳴り込んでくる親が多いし
うまくいかなかったら、なんでもひとのせいだと思っている人がおおいので、誰に対しても、そういう人向きの対応になりがちなんだとおもいます。
親である自分が一番正しいと思える人が羨ましいけど、そうは絶対になれないので、人の意見に振りまわされます。
でも、振り回される自分がわるいのであって、意見をいってくださる方がたのことは、ありがたいと思っています。
きょうもまた、色々かんがえることがあって、考えすぎて思考停止状態で、すみません。
と思う人も含めてありがたいと思えるのはすごいです。
おのぞさんは本当に素敵な人ですよ!!
私はそう思います。