ホール練習

2004年2月7日 音楽
と題名をつけておきながら

実はあまり記憶がない。

ベゲをたくさん飲んだことによる後遺症らしい。

少しずつまっすぐ歩けたり、ちゃんとした人間になるらしい。

(今も見掛けは人間です)

車ぶつけた話しはしましたっけ?

前のオデ○○イの時も薬飲んでて自分でぶつけました。
おかげで買い換えました。オオオ。
それ以来恐くて自分用の軽自動車乗ってます。

つまり、自分のまっすぐと現実のまっすぐはどうやら違うみたい。

この話しはまた2/9の日付の時に書きましょう。

今、よくわからなくなっています。
音楽と、生活と、病気と、私。

基本は私、家族、仕事だと思います。その上の話しなんでしょう。

ボエは中学の時に吹いてました。
厳しい吹奏楽部で成績も優秀でした。
でも、楽しいなんてただの一度も感じたコトありません。
苦痛だけだけでした。

中学3ねんで転校することになりました。
どこかほっとしていました。

でも、失って気づくものなんですね。
自分とボエがどんなに密接に繋がっていたか

体の一部をもぎ取られた気分でした。

おかげで淋しさを紛らわすのに勉強できてよかったのかもしれませんけどいわゆるガリ勉でしたね。

ときおり、音楽室でクラリネットを吹かせてもらってました。

でもボエの音は独特です。
案外ご存知無い人も多いのかもしれないけど
一番女性の声に似た音らしいです。

奏者によって表情はまちまちですが、牧歌的ななんとも懐かしいような音です。是非聞いてみてください。

目指す高校にははいれました。
一個下の学校は吹奏楽が結構盛んで私が入部するならボエを買ってくれるというのでずいぶん悩みました。
もし、あの時、あそこの学校に行ってたらちゃんと勉強もして
人生変わってたかな。

しかし、やはりトップ高に行きたかった。
そこは弱小バンドでした。
当然、ボエなどなく、買ってもらう予算などなく。
ボエは結構高いんですよ。安い物でも50万以上はします。
結局、フルートを買いました。
サンキョーのシルバーソニックです。

大学の時、京響の先生に習いましたが、アンブッシュを壊されただけでどうも吹奏楽をバカにされることに嫌気がさし、やめてしまいました。

そっからある職場でオケに入るまで
音楽とは無縁のかんけいでした。

幼稚園からピアノをならっていて
音楽というと練習。

中学ではジャズや歌謡曲を聞くコトを禁止されていました。
耳が腐ると。

私にとって音楽とは楽しむ物ではなく、勉強する物。
その虎馬はいまでも消えず、楽しもうとかなり気合を入れないと聞けない状況です。つまり、音楽を聴くのが苦痛なんです。

変でしょう。

こんなにボエを愛しているのに。

オケで吹いたのは2回目でした。

楽しかった

びっくりするほど楽しかったんですよ。
力を抜いて楽しめました。

2年ボエで、2年フルートで出ましたね。

そこを辞めてからは出ていませんが。
もう、続いてないのかもしれません。

ホールで吹くと気持ちいいですよ。
そこはそんなに大きなホールではありません。
それでもスポットライトは気持ちいいもんです。

いつの頃からかアガルこともなくなり、客席一人一人をじっくり観察したり、どこにだれがいるのか目を凝らして探したりしてます。
時には小さく手を振ったり。

基本的にはアガリ症だったんですよ。
コンクールの幕間なんて心臓が飛び出すんじゃないかってくらい。

いつからこんなに図太くなったんでしょうね。
体型とおなじかもしんない。
細くなれば、またアガルかな?

思うように吹けず私は泣いていたらしいです。

先に言ったとおり、何の記憶もないんです。

大抵は少し言われると記憶が蘇るんですが、どうにも全く記憶がありません。

ほんなら、書くなよ。
そうっすね、

単にこの日私は一応ホール練習に出た。
その記録だけです。

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