本音

2006年12月13日
途中まで書いていたのが、、消えてました。
思い出しつつ書きます。

私はいつも本音で誰とでも接しています。
仕事で会う人にも、できるだけ本音で接しています。
もう少し、本音をかくして
人とつきあえばいいのに。。。。
といわれるぐらいです。


そういうことは貴方自身もよくご存知だと思ってました。

遠慮して誰も私には本音で言わないと思われているようですが、

それは貴方が私の周りをあまりにも理解していません。

もう無理だと思ったのはそこかもしれません。。。。

何故、家事ができないか、
許されるなら、お風呂にも入りたくない。
誰にも会いたくない。
何もしたくない。

ところが

そうやって、じっと家にいると
今度はそういうじっとしている
自分が許せなくなる。

本も読めない。
音楽も聴けない。
テレビも見れない。

ただただ、薬を飲んで、
布団の中でおびえているだけ。

そうすると、どんどんと病状はひどくなり、
言葉を発することもしんどくなり、
ついには自分を殺そうとする。

そういうことを何年か前に
何度も何度も繰り返しました。

自宅の庭は大丈夫でも、
夫のいる自宅の中にはどうしても入ることができなかった。
庭にぺたんと座って、
ひたすら、タイルをひいていた。。。。

病気が悪くなっていく過程を見ていたSくんも
最初はあなたは病気じゃない。
そう言ってた。
いつからか、、、言わなくなった。
裸足で明け方歩き回っていたあの頃よりましになったよな。。。と。

まだ病気だとはっきりしてなかった頃、
娘の参観で会社は休んでいたけど、
どうしても人がたくさんいる、
教室に学校に行けなくて、
ずっとゲームをしていたことがある。
娘は膨れて、ゲームが出来るなら来てくれればいいのに!!
と怒っていた。
それを遠くで眺めるように、
「ごめんな。。行こう行こうと何度も思ったけど、
どうしても動けなかってん・・・」

可愛そうなことをしたと思う。
でも、それから自宅には帰れなくなったことは数ヶ月とか半年とか
何度もあり、子供たちの感情も
私に何も期待しなくなったんだろうね。

何度も死にそうになる母親を見て、
手から血をたらしていたり、
病院でチューブだらけで意識がなかったり。

だから、うちではゲームをしている私は少しましな人なんだ。
本当に駄目なときはベッドから出てこないか、
泣き喚いているから。

ちょっと調子がいいと、
家族と話したり、テレビが見れる。
もう少し調子がいいと
楽団の練習に行ったり、少しの外出ならできる。

旅行とかは、不思議とできる。
多分、そのままの私が行くのではなく、
健康なふりをした私が行くからだろうね。。。。

それでも、薬は飲まないと寝れないし、


母は、いつか
いつになったら治るんや!
いつまでみんなに頼って、だらだらしてるんや!

と怒ったことがある。

そういわれると、
生きていたらあかんと思うのだ。。。。
治ろうと、いくつもの医者に行って、
いろいろとしたけど、治らんのだから。。。。

やる気の問題ではない。

治らないのだから。。。。

治りたいのは、
本人が一番治りたい。

家族が喜ぶ美味しい料理をし、綺麗に気持ちよく掃除をし、
そんなふうになりたくないわけがない。

その母にすごく怒っていったことがある。

そんなにいつまでと区切るんなら、今すぐ死ぬ!
絶対約束なんかできへんし、そんなに迷惑なら死ぬ!

病気や病気やといって、何もしなくていいなら
代わって欲しいわ!

と母に言われ、
いつでも、代われるものなら、代わって欲しいわ!!
こんなに恐ろしくて、辛くて、こんな毎日過ごすくらいなら、
家事ぐらいぱっぱとやってあげるわ!!

それから母は二度とそういうこと言わなくなった。

娘が絶望して死ぬよりはいつか治ると。。。助けていてやれるほうがいい。。

そう思ったのだと思う。

それは死ぬというのが、
本当に死んでしまうのだろうと思ったんだと思う。

今の私がどうして働けているのか、健常な人でもおかしくなるような状況で
どうして働けているのか。。。

それは今までの色んな経緯があるからだと思う。

ちゃんと働けているかというと、
ちょくちょく、、休む。

でも、これもどうしようもないんだ。。。。

それを咎められたら、辞めるしかない。
私なりの精一杯だから。。。

夫と暮らす毎日も実はものすごいストレスだらけ。。。。

本当なら、きっぱり離婚して、
別の人生を歩むべきなんだろうと思う。

でも、それも理想だ。
現実にはあまりにも超えなければならないことが多すぎて、
自分で動き出すには無理。

いつか言いましたよね。
恋愛は自立した男女の間に成立する。

そうでしょうか?

お互いを思う気持ちがあれば、それだけで十分なのでは?

働けない人は自分の食べるものを稼いでこれない自分を責めます。
働ける私は自分の食べるものを作れない自分を責めます。

病気で出来ない人はみな、自分を責めてしまいます。
だから病気になるんでしょうけどね。

病気には波があります。ましなときは流せることも、
病状の悪く、無理をしていると、
それは死につながる病気です。

そのことは本人が24時間、いつでも怯えて、ともにいます。

甘えることが下手なんですよ。

会社では、
コップも洗えます。
吹き掃除も少しなら出来ます。
きっと、会社では掃除のきらいな人だと思われてると思います。

貴方のお家にいって、
冷蔵庫を開けたり、コップを洗うことがどれほどの精神力が必要だったか
わかりますか?
やれば、できるじゃん。。。
程度だったのですか??

今私が生きているのは、死ねば、そのことで子供たちや両親の心に大きな傷を残します。
一生、辛く生きなければならなくなります。
それはしてはいけないと思ってるから。。。

ゲームやデートは出来るのに、
家事は出来ない。

事実はその通りです。
でも、健常者なら、やる気になれば家事はできます。やりたくないとか、やりたいとかは別にして、
したからといって、
会社にいけなくなるとか、自分を殺そうとしたりとか、
そういうことにはなりません。。

ゲームは少しだけ調子がいいときに、
生きている時間を潰す方法です。

デートは生きる喜びをもらうためでした。

梅田の病院に初めて行ったとき、
先生に言われました。
一人でできる息抜きをたくさん見つけなさいと。

楽団は複数でするので、どうしてもそれ自体がストレスになる。

ドライブするのも、車が壊れていたらあかん。
じゃ、って。一人でできるやってもやらなくてもどうでもいい息抜きを持ちなさい。

そう言われたことをはっきり覚えています。

今は調子が良ければ、
ゲームをし、テレビを見、ほんのたまには本も読めたり、
パソコンをしたり、
そういうことで均衡が取れているのでしょう。

本当なら、
散歩をしたり、
もっと健康になることをすればいいのに、
そういうことは今は出来ないのです。。。。。

それでも、帰りに一駅歩いたり、
できる範囲の努力はしています。

今の私はほんとうにいっぱいいっぱいなのです。

無条件に会いたいね。とお互いが思って会えるのでなければ、
家事ができてからとか、仕事ができてからとか
条件がつくのならば、
もう無理です。

家事はいつかやれる日がくるのかもしれないし、
もう二度と来ないかもしれない。
それでも、生きているだけで合格!と思わないと、

自分に甘いと思うのかもしれないけど、

自分に甘いなら、病気にはなりません。

精神科のお医者さんも8割がた駄目だと思ってます。
全然わかっちゃいません。

今の主治医も治るなんておもったり、
減薬できるなんて思ったらいけません。一生薬は飲むし、一生通院してください。
といいます。
それでも話はうんうんと聞いてくれるからましな方だとは思いますが。。。。。

病気なんて、なってみないと分からないんですよ。
患者になってみて、初めて分かるんです。
文献や医者の話は構造上の話で、

そういうことで片付くなら、
こんなに病気の人間が多くはないです。

治せないから、治らないんです。

一部の先生は違うと思いますがね。。。

何度も日記に書いたようなことも書きました。

私なりには精一杯説明しました。

私の周りで遠慮して言えなかったのは、貴方だけだと思います。
そういうことですか。。。。と。
とても苦しみましたが、
仕方ないな。。。。
と今は思えています。

治ろうと努力してないわけではないです。
でも、頑張って、結果がでるものではないです。
少なくとも激しく落ちることのないように、
家事は家族のために、やらないだけです。
結局激しく迷惑かけることになりますから。。。

そういう私はナマケモノにしか見えないなら、仕方がないです。


こんな私はお嫌いでしょう??
健常な自立した方がお似合いです。
私では無理です。

私はいつも本音で、心をさらして生きています。

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