ナイアーさんへ2
2006年11月20日あなたを傷つけてしまったのではないかと
とても気になっていました。
私のお友達で、
ホタルさんのサイトをご紹介します。
http://www.ictnet.ne.jp/~hotaru936/
彼女は幼少期からとても大変な思いをして、
色んなことがあって、
欝と言う病気になって、
働くことも出来なくて、とても辛いときもあって、
人格を全て否定されるような離婚も経験して、
それでもとてもとても強く生きていて、
といっても今も生活保護を受けて、
薬で週に1度か2度パソコンの前に座る気力をもらう以外は
布団の中でずっとうずくまっていると言ってました。
そんな彼女が同じ病気の人と、最近結婚をしました。
彼女はクリスチャンですので、お祈りをしつつ暮らしていますが、
今も決して金銭的に裕福なわけではありませんし、
病状が楽になったわけでもありません。
それでもとても楽観的に生かされている喜びを感じて
感謝をしています。
良かったら彼女のいろいろを読んでみてください。
きっと何か勇気をもらえると思います。
私はナイアーさんがとっても明るい幼少期を過ごしたとは思っていません。
だけど、
なぜ自分が??
っと考えると、どうしても行き詰ってしまいます。
人から見たら、どうしてそんなことが?
と思えることでも、本人にとって全てを絶望するときには
そんなことで、、、もっと大変な人はいるよ。。
と言っても耳には入らないでしょう。
ことの重大性というより、
希望を持ってもらいたいと思います。
就職するなら、こんな会社。。。。
と理想を持つのはいいけれど、
理想どおりに生きられる人がどれだけいるでしょう??
私も専門は心理学でした。
でも、今はまったくかけ離れた仕事をしています。
結婚し、出産をし、旦那の言うとおり、社会から離れることにしました。
そこから再出発をしようとしたとき、
職歴がない。
技能がない。
年齢が高い。
ハンデだらけです。
いつか私も理想の仕事をしたいです。
気持ちよく働きたいし、やりがいも感じたい。
その日のために今は甘んじなければならない。
社会の中で病気を隠して頑張っている実績を作らねば。。。
カミングアウトしても、まず社会は受け入れてはくれません。
会社は健常な能力の高い人を望みます。
だからナイアーさんも、絶対に病気を隠して
這ってでも毎日会社に行く。
そういう毎日をとりあえずするべきだと思います。
どんなに不幸があったからといって、
病気を受け入れてもらうことはまず無理です。
病気の人はものすごくたくさんいます。
みんな、それぞれに病気になった原因があり、
原因が解消されていないからこそ、
治ったりできないんだと思います。
それでもおなかは空くし、
明日は来るのです。
存在する意味がない人などいません。
イエス様はどんな人も等しくとても深く愛しておられます。
病気の回復、完治にはナイアーさんも私もまだ10年以上かかるでしょう。
いつか笑う日のために、今は歯をくいしばって頑張らないといけないと思います。
どうしても寝込む日がくれば、それも受け入れて、
いつか笑う日のために今日をすごしましょう。
こうしてネットを通じて、
普段の生活では会うことの無かった人とも、たくさん知り合えます。
お互い、病気だからこそ、慰めあえ、励ましあえるところもあるんだと思います。
愛というのは、とてもおぼろげなものだと思います。
愛というのは、与えられるものでなく、
内から湧き出るもの、
神が備えてくれているものだと思います。
人生の幸せの量は押しなべてみたら同じだと思っています。
幼少期に辛い思いをし、青春期にも辛い思いをしたナイアーさんは
きっと今から幸せになれると思いますよ。
でも、待っていてはだめです。
自分から幸せを逃がしてもだめです。
希望を持って、励ましあって、
ゆっくり生きましょう!
いつか満たされる日はきますよ。
そう信じないと。。。
喜んではいられません。
一番好きな聖句は
いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 全てのことについて、感謝しなさい。 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
二番目に好きな聖句は
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
信仰のおかげでしょうか?
私はこの希望というのがあるから今、お荷物のような生活をして、
はがゆいことも多くても、イエス様がくださるこの希望をもっていられるのです。
失望に終わる人間の希望とは違うのですから。。。
でもその希望にたどり着くために、品性が、忍耐が、患難が、、、、
私たちにはあるのです。
それでも、私たちは皆尊いのです。
誰が言ってくれなくても、イエス様がそうおっしゃってくださっています。
本当に本当に失望してしまったのなら、
だまされたと思って、
教会のドアを開いてみてください。
先に述べたホタルさんは同じ東北、盛岡の人です。
大阪ですが、うちの牧師もお近くの牧師を紹介してくれると思います。
別に変な宗教の勧誘ではないですよ。
ただ、求めないと、ドアをたたかないと
与えられないのです。
前にも述べましたが、
私は今すぐ何の楽しみもなく、がむしゃらに働けといっているのではありません。
逃げることも必要だろうし、
楽しみも必要です。
心にそっと希望があれば、それも違ってくるだろうと思うだけのおせっかいでした。
とても気になっていました。
私のお友達で、
ホタルさんのサイトをご紹介します。
http://www.ictnet.ne.jp/~hotaru936/
彼女は幼少期からとても大変な思いをして、
色んなことがあって、
欝と言う病気になって、
働くことも出来なくて、とても辛いときもあって、
人格を全て否定されるような離婚も経験して、
それでもとてもとても強く生きていて、
といっても今も生活保護を受けて、
薬で週に1度か2度パソコンの前に座る気力をもらう以外は
布団の中でずっとうずくまっていると言ってました。
そんな彼女が同じ病気の人と、最近結婚をしました。
彼女はクリスチャンですので、お祈りをしつつ暮らしていますが、
今も決して金銭的に裕福なわけではありませんし、
病状が楽になったわけでもありません。
それでもとても楽観的に生かされている喜びを感じて
感謝をしています。
良かったら彼女のいろいろを読んでみてください。
きっと何か勇気をもらえると思います。
私はナイアーさんがとっても明るい幼少期を過ごしたとは思っていません。
だけど、
なぜ自分が??
っと考えると、どうしても行き詰ってしまいます。
人から見たら、どうしてそんなことが?
と思えることでも、本人にとって全てを絶望するときには
そんなことで、、、もっと大変な人はいるよ。。
と言っても耳には入らないでしょう。
ことの重大性というより、
希望を持ってもらいたいと思います。
就職するなら、こんな会社。。。。
と理想を持つのはいいけれど、
理想どおりに生きられる人がどれだけいるでしょう??
私も専門は心理学でした。
でも、今はまったくかけ離れた仕事をしています。
結婚し、出産をし、旦那の言うとおり、社会から離れることにしました。
そこから再出発をしようとしたとき、
職歴がない。
技能がない。
年齢が高い。
ハンデだらけです。
いつか私も理想の仕事をしたいです。
気持ちよく働きたいし、やりがいも感じたい。
その日のために今は甘んじなければならない。
社会の中で病気を隠して頑張っている実績を作らねば。。。
カミングアウトしても、まず社会は受け入れてはくれません。
会社は健常な能力の高い人を望みます。
だからナイアーさんも、絶対に病気を隠して
這ってでも毎日会社に行く。
そういう毎日をとりあえずするべきだと思います。
どんなに不幸があったからといって、
病気を受け入れてもらうことはまず無理です。
病気の人はものすごくたくさんいます。
みんな、それぞれに病気になった原因があり、
原因が解消されていないからこそ、
治ったりできないんだと思います。
それでもおなかは空くし、
明日は来るのです。
存在する意味がない人などいません。
イエス様はどんな人も等しくとても深く愛しておられます。
病気の回復、完治にはナイアーさんも私もまだ10年以上かかるでしょう。
いつか笑う日のために、今は歯をくいしばって頑張らないといけないと思います。
どうしても寝込む日がくれば、それも受け入れて、
いつか笑う日のために今日をすごしましょう。
こうしてネットを通じて、
普段の生活では会うことの無かった人とも、たくさん知り合えます。
お互い、病気だからこそ、慰めあえ、励ましあえるところもあるんだと思います。
愛というのは、とてもおぼろげなものだと思います。
愛というのは、与えられるものでなく、
内から湧き出るもの、
神が備えてくれているものだと思います。
人生の幸せの量は押しなべてみたら同じだと思っています。
幼少期に辛い思いをし、青春期にも辛い思いをしたナイアーさんは
きっと今から幸せになれると思いますよ。
でも、待っていてはだめです。
自分から幸せを逃がしてもだめです。
希望を持って、励ましあって、
ゆっくり生きましょう!
いつか満たされる日はきますよ。
そう信じないと。。。
喜んではいられません。
一番好きな聖句は
いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 全てのことについて、感謝しなさい。 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
二番目に好きな聖句は
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
信仰のおかげでしょうか?
私はこの希望というのがあるから今、お荷物のような生活をして、
はがゆいことも多くても、イエス様がくださるこの希望をもっていられるのです。
失望に終わる人間の希望とは違うのですから。。。
でもその希望にたどり着くために、品性が、忍耐が、患難が、、、、
私たちにはあるのです。
それでも、私たちは皆尊いのです。
誰が言ってくれなくても、イエス様がそうおっしゃってくださっています。
本当に本当に失望してしまったのなら、
だまされたと思って、
教会のドアを開いてみてください。
先に述べたホタルさんは同じ東北、盛岡の人です。
大阪ですが、うちの牧師もお近くの牧師を紹介してくれると思います。
別に変な宗教の勧誘ではないですよ。
ただ、求めないと、ドアをたたかないと
与えられないのです。
前にも述べましたが、
私は今すぐ何の楽しみもなく、がむしゃらに働けといっているのではありません。
逃げることも必要だろうし、
楽しみも必要です。
心にそっと希望があれば、それも違ってくるだろうと思うだけのおせっかいでした。
コメント