誰か、30000番踏んだら、カキコしてねん!
2005年5月2日先日、4/29に以前から約束をしてはすっぽかしていた、高校時代の友人の職場に息子を連れて遊びに行って来ました。
ことの発端は彼の研究していることが、息子の興味がありそうだね〜〜と何年か前に話していて、ま、そのときは具体的にどうってことは何も無かったのだけど、年賀状あたりからメールをやりとりするようになって、
やる気のない息子なんだけど、連れていって遊びに行っていい??
私としては、なるべく多くのものに触れ、人の話を聞き、自分で判断する材料にして欲しいと思うのです。
車で行くと言ったら、止めるとこないぞ〜〜って話になり、彼の友人の駐車スペースを短時間貸してもらえることになり、ただ、ちょっと離れてるので、同乗して駐車場まで行くから、、、、とそれまでの道順をメールで指示してもらっていたのですが、、、
転送するのを忘れた。。
ええと。。。○×の交差点を左折して、、
と必死に記憶をたどり、何とか到着。
歩いてきてくれた友人は高校時代とほとんど変わってない。
びっくら。。
大学時代の方がおっさんやったような。。
「よう!姉御〜〜!久し振り〜〜!」
そっから、、お互いに関西暮らしが長い割に一瞬にして、高校時代の言葉になる。
「元気そうやんね!この前は、約束しててから、とこわっちしまって御免ね〜〜、いやいや、、申し訳ない」
二人で九州弁で喋るのに、息子はちぃとびっくりした模様。
それでも、色んなことを4時間以上話して、楽しかったです。
息子も勉強を楽しむ、と言う事、自分の将来、仕事、そして受験、そういうものを少しなりとも感じてくれたのではないかと。。。
今日までお礼を言う元気がなかったんだけど、先ほどお礼を言ったら、素直な息子さんじゃないですか。二人で昔話して悪かったね。
高3にもなって、オカンの高校時代の友達に二人で会いに行くという時点で素直な息子ではあるよね。。。
私と二人で行動することは別に平気みたい。
ただ、彼の教育への情熱のようなものを聞いていて、自分にも同じようなものを感じて、これも高校3年の時の担任のY先生の影響もかなりあるかな〜〜と思ってしまった。いまだに私は年賀状のやり取りをしていると言ったら、Kくんもやりとりをしているんだと言っていた。
すっごい熱血教師で、ユニークな先生だった。
「お前は頭は悪いが、人を周りに集まらせる才能がある。お前の周りにはいい人間が集まる。」
「あいつはつまらんぞ。お前はおれんごと、引っ張っていく男で無いとつまらんばい」
いろんな言葉が蘇る。。
あいつというのは今の旦那のことだ。
インフルエンザでずっと伏せっていて、動く気力も食べる気力もなかった。たまたまY先生が「大丈夫か〜〜?」と覗きに来てくれたときに、うちの旦那がいたんだ。
「おまえ、みゆぼえが伏せっているのに、病院ぐらい連れていっちゃらんか!!なん、しよんか!」
ぶつぶつと言い訳する旦那に、
「ごちゃごちゃ言わんでいいけん、はよ、おぶってやれ!!病院まで連れて行くぞ!」
って、、、先生も数日は放置していたではないか。。。
このときのインフルエンザはほんまにしんどくてお陰ですべり止めの大学の願書を出し忘れてしまったのだ。。
だいたい、この教師、私が一人暮らしを高校のまん前のアパートでしてるとき、
「今度の土曜、一緒に飯食おう!」
私は何かご馳走してくれるのかと思った。
「なんか、作っとけ!」
挙句に、それを聞いた男子を数人連れてきて、狭いアパートにそんなに食器はないっつうねん!!
なんか学校では出来ない話でもするのかと思ったのに、単にうちにご飯を食べに来ただけなんだから。。。
なんちゅう!教師だ。
旦那がつまらんちゅうのは、、あたっちょったかもしれんけんど、
私の周りに人が集まるっちゅうがは、どうかね。。
私は高校生のころとはまったく変わったように思っていたが、友人のKくんに言わすと
何もかわっちょらんそうです。一人でボケて一人で突っ込むとこが。
そうかなあ。。。
「面白かろ??こんな人がお母さんで。頼もしいっちゃろ」
息子絶句。
ただ、、珍しく息子が本音を少しもらした。
父親が嫌いなのだと。
奇遇じゃのう。。わらわと一緒だ。。
ともいえず、、、ま、そんな時期よね。
うるさい親父だけど、、いつか相談しようと思える時が来るよ。
今日、会社に来るまで、ずっと、しんどかった。
一気に高校時代のこと、大学時代のこと、思い出したから。。
息子が生まれて、旦那は喜んではくれなかった。彼サイドの全ての人に黙殺されていた。主人のお母さんに、生まれたんですよ!って電話をしたら、
「ああ、そうね。おめでとうございます」
祝いでもせびっているようにとられたようだった。。。
私は一人の人間の命の誕生をできるだけたくさんの人に喜んでもらいたいだけだった。。
もちろん、私の両親は喜んではくれたが、子供が生まれたことに興味も示さない夫にも、すごく悲しい思いをしていた。
そんなとき、Kくんはかわいい靴をわざわざ電車とバスに乗って、、届に実家まで来てくれた。
私にはものすごく嬉しかった。
彼は今3月にお嬢さんが誕生して、子育てにへとへとらしい。。
近かったら、子守りしちゃって、嫁と二人でゆっくり過ごす時間をプレゼントしてあげられるのに。。と思いつつ、
大学時代。。。私はとても、ふてくされて生きていたのに、、
その頃のことも彼はよく知っているのに、、、
心から笑っていた高校生活の頃の私が。。。
なつかしい。。
いつか、修学旅行に行ったときのような笑顔で、、健康になって、、
姉御をやれたらいいなあ。。。
彼は息子に
「僕はね、、君のお母さんにはすっごく世話になったんよ」
と言っていたが、彼にとっては人生の中のすごい苦境の時に、ニコニコと手助けしてくれた私に感謝しているんだろうけど。。
私の方がずっと世話になっている。。。
いつか、Y先生にも、K君にも、元気をあげられるようになりたいもんだ。
今年の母の日は九州の母に何か美味しいものでも、送ってあげようかと思っている。
まだ、、顔を会わす勇気はないけど、、
それでも、、Y先生も義母も元気なうちに会いたいものだ。
今年の夏は無理だろうけど、、来年の夏は。。
九州に帰ってみるかな〜〜〜と思っている。
ま、おそらく実家には泊まらず、ホテルを取るだろうけど。。。。
来年のつもりが、、ずっと来年になるかもしれないけど。。。
ま、、それでもいいか。。
ことの発端は彼の研究していることが、息子の興味がありそうだね〜〜と何年か前に話していて、ま、そのときは具体的にどうってことは何も無かったのだけど、年賀状あたりからメールをやりとりするようになって、
やる気のない息子なんだけど、連れていって遊びに行っていい??
私としては、なるべく多くのものに触れ、人の話を聞き、自分で判断する材料にして欲しいと思うのです。
車で行くと言ったら、止めるとこないぞ〜〜って話になり、彼の友人の駐車スペースを短時間貸してもらえることになり、ただ、ちょっと離れてるので、同乗して駐車場まで行くから、、、、とそれまでの道順をメールで指示してもらっていたのですが、、、
転送するのを忘れた。。
ええと。。。○×の交差点を左折して、、
と必死に記憶をたどり、何とか到着。
歩いてきてくれた友人は高校時代とほとんど変わってない。
びっくら。。
大学時代の方がおっさんやったような。。
「よう!姉御〜〜!久し振り〜〜!」
そっから、、お互いに関西暮らしが長い割に一瞬にして、高校時代の言葉になる。
「元気そうやんね!この前は、約束しててから、とこわっちしまって御免ね〜〜、いやいや、、申し訳ない」
二人で九州弁で喋るのに、息子はちぃとびっくりした模様。
それでも、色んなことを4時間以上話して、楽しかったです。
息子も勉強を楽しむ、と言う事、自分の将来、仕事、そして受験、そういうものを少しなりとも感じてくれたのではないかと。。。
今日までお礼を言う元気がなかったんだけど、先ほどお礼を言ったら、素直な息子さんじゃないですか。二人で昔話して悪かったね。
高3にもなって、オカンの高校時代の友達に二人で会いに行くという時点で素直な息子ではあるよね。。。
私と二人で行動することは別に平気みたい。
ただ、彼の教育への情熱のようなものを聞いていて、自分にも同じようなものを感じて、これも高校3年の時の担任のY先生の影響もかなりあるかな〜〜と思ってしまった。いまだに私は年賀状のやり取りをしていると言ったら、Kくんもやりとりをしているんだと言っていた。
すっごい熱血教師で、ユニークな先生だった。
「お前は頭は悪いが、人を周りに集まらせる才能がある。お前の周りにはいい人間が集まる。」
「あいつはつまらんぞ。お前はおれんごと、引っ張っていく男で無いとつまらんばい」
いろんな言葉が蘇る。。
あいつというのは今の旦那のことだ。
インフルエンザでずっと伏せっていて、動く気力も食べる気力もなかった。たまたまY先生が「大丈夫か〜〜?」と覗きに来てくれたときに、うちの旦那がいたんだ。
「おまえ、みゆぼえが伏せっているのに、病院ぐらい連れていっちゃらんか!!なん、しよんか!」
ぶつぶつと言い訳する旦那に、
「ごちゃごちゃ言わんでいいけん、はよ、おぶってやれ!!病院まで連れて行くぞ!」
って、、、先生も数日は放置していたではないか。。。
このときのインフルエンザはほんまにしんどくてお陰ですべり止めの大学の願書を出し忘れてしまったのだ。。
だいたい、この教師、私が一人暮らしを高校のまん前のアパートでしてるとき、
「今度の土曜、一緒に飯食おう!」
私は何かご馳走してくれるのかと思った。
「なんか、作っとけ!」
挙句に、それを聞いた男子を数人連れてきて、狭いアパートにそんなに食器はないっつうねん!!
なんか学校では出来ない話でもするのかと思ったのに、単にうちにご飯を食べに来ただけなんだから。。。
なんちゅう!教師だ。
旦那がつまらんちゅうのは、、あたっちょったかもしれんけんど、
私の周りに人が集まるっちゅうがは、どうかね。。
私は高校生のころとはまったく変わったように思っていたが、友人のKくんに言わすと
何もかわっちょらんそうです。一人でボケて一人で突っ込むとこが。
そうかなあ。。。
「面白かろ??こんな人がお母さんで。頼もしいっちゃろ」
息子絶句。
ただ、、珍しく息子が本音を少しもらした。
父親が嫌いなのだと。
奇遇じゃのう。。わらわと一緒だ。。
ともいえず、、、ま、そんな時期よね。
うるさい親父だけど、、いつか相談しようと思える時が来るよ。
今日、会社に来るまで、ずっと、しんどかった。
一気に高校時代のこと、大学時代のこと、思い出したから。。
息子が生まれて、旦那は喜んではくれなかった。彼サイドの全ての人に黙殺されていた。主人のお母さんに、生まれたんですよ!って電話をしたら、
「ああ、そうね。おめでとうございます」
祝いでもせびっているようにとられたようだった。。。
私は一人の人間の命の誕生をできるだけたくさんの人に喜んでもらいたいだけだった。。
もちろん、私の両親は喜んではくれたが、子供が生まれたことに興味も示さない夫にも、すごく悲しい思いをしていた。
そんなとき、Kくんはかわいい靴をわざわざ電車とバスに乗って、、届に実家まで来てくれた。
私にはものすごく嬉しかった。
彼は今3月にお嬢さんが誕生して、子育てにへとへとらしい。。
近かったら、子守りしちゃって、嫁と二人でゆっくり過ごす時間をプレゼントしてあげられるのに。。と思いつつ、
大学時代。。。私はとても、ふてくされて生きていたのに、、
その頃のことも彼はよく知っているのに、、、
心から笑っていた高校生活の頃の私が。。。
なつかしい。。
いつか、修学旅行に行ったときのような笑顔で、、健康になって、、
姉御をやれたらいいなあ。。。
彼は息子に
「僕はね、、君のお母さんにはすっごく世話になったんよ」
と言っていたが、彼にとっては人生の中のすごい苦境の時に、ニコニコと手助けしてくれた私に感謝しているんだろうけど。。
私の方がずっと世話になっている。。。
いつか、Y先生にも、K君にも、元気をあげられるようになりたいもんだ。
今年の母の日は九州の母に何か美味しいものでも、送ってあげようかと思っている。
まだ、、顔を会わす勇気はないけど、、
それでも、、Y先生も義母も元気なうちに会いたいものだ。
今年の夏は無理だろうけど、、来年の夏は。。
九州に帰ってみるかな〜〜〜と思っている。
ま、おそらく実家には泊まらず、ホテルを取るだろうけど。。。。
来年のつもりが、、ずっと来年になるかもしれないけど。。。
ま、、それでもいいか。。
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