近畿直撃もありうるらしい。
子供達は学校が休みです。
でも会社はあります。
今日もま、中元の挨拶状やら、考課者の関連づけのホストコンピュータへの登録やら、ちまちま仕事してます。
朝、会社来るときは風だけだったのですが、雨も降ってきました。
ま、うちは高台なんで、うちが浸かるときは市内水没ということなんで大丈夫っしょ。
会社からの帰り道も特に水没してそうなところはないので今日もお気楽に仕事!!
いつもは月曜は土日の分も書くんだけど、この土日はパソコン触ってたので今日はのんびりです。
私って真面目なんです。
ってかその状況に適応しようとしてしまうんです。
それは大人になって、違うンちゃうんと思えばちゃんと言える様にはなってきてますが、どうも優等生になりたがる傾向がある。
中学の時
本当はアタックナンバーワンの影響でバレーがやりたかった。
でも、背の低い私はあかんと言われた。
それでさて、どうしたものかと思ったけどお気楽〜な気持ちで吹奏楽部を見に行った。
笛が得意だった。その程度の理由で。
ま、ピアノは3歳からやってたんで絶対音感はないけど、相対音感はあったし。
しかし、そこから私の運命は回転する。ぐるぐる。。。
もし、あの時、他のクラブに入っていたら本当に人生全てが変っていたと思う。お勉強もあんまし、しないで普通の女の子だったと思う。
歌を歌うことも、楽器を吹くのも好きだった。
でも、裁縫も料理もお菓子作りも、スポーツも何でも好きだった。
入ったクラブは吹奏楽なのに、腹筋は毎日7000回したこともあったし、腕立て、足上げなど、運動部よりはるかに厳しかった。
4月に入部したのに、楽器を手にしたのは8月の合宿。
それまではひたすら体力つくり。
ま、それで根性を養ってもらったんだけど。
1年の時は無我夢中だった。
今のようにコピーが発達してないのもあったけど、楽譜は全部手書き。
書いて覚えるってことだった。
2年生の時に休みもなく、ただただ練習の日々に皆で疑問に思った。
何でやってるの??
それで3年生に辞めたい。と言った。
毎年、2年はそういうこと言うんだよねって言われて、
お前達はコンクールに勝つための道具だ。
人格も性格も必要ない。
そう言われた。
それまでいいつけを守り、クラシック以外は耳が腐ると言われ、歌謡曲などは聞かなかった。
(未だに音楽を楽しんで聞きにくい)
私は特殊楽器ということもあって、プロの先生にレッスンをつけてもらったり、リードの作り方なんかを教えてもらったりした。
生徒会の執行部も毎年、吹奏楽部でしめることがお約束になっていた。
吹奏楽部の人間は完璧でなければならない。
学業もそうだ。
先輩にいつも点数を言わされた。
ビビル顔が見たくて勉強した。
96.7が今までの平均点最高点。その時先輩はマジびびっていた。ザマーミロ。
でも、親の転勤で突然、辞めたくて辛くて仕方なかった部活動から開放された。
待っていたのは案の定のいじめ。
でも、その頃私はとても強い子だった。
勉強で運動で色んなもので認めさせてやる!!
でも中3は楽しい一年ではなかった。
ボエがなかったから。
高校もどっか、吹奏楽部が基準だった。
一個下のランクの学校はそこそこ上手かった。
私が入ればボエを買ってくれるといった。
当時つきあっていた男の子はそこの高校に行った。
迷った。
それで中学の先輩に手紙を書き、相談した。
私なら学力の上の学校に行く。といわれた。
私の中で先輩は絶対だった。
迷いはなくなり、無事に高校に入れた。
いわゆる小編成の吹奏楽部だった。
コンクールの目次で見たことがあるが、相手にするどころか、存在さえ認めていなかった。
ボエを買うお金などないし、結局フルート吹きになった。
そこは音楽を楽しもうとする人たちだった。
理解出来なかった。ずいぶんと長く。
なぜ、コンクールに勝つこと以外に楽器を練習するんだ??
でも私たちの時、初めて銀賞をとった。
もちろん、中・小編成の部門でだけど。
今は皮肉にも大編成で金賞をとり、大きな大会にもいっている。
輪になって合奏する部じゃなくなっている。
私にとって音楽。
何なんだろう??
時折、フルートを吹く。
何か楽に吹ける。気負いがない。
音楽だけじゃない。
結婚生活においても良妻賢母でなければ、と自分を責めてきた。
母が全てにそうしたから。
そんなもんだと思ってた。
やっと、母にも夫にも
私は私だ!!
ありのままの私だ!!
向上するのと、背伸びするのは違う。
そう言えるようになった。
ありがたいことに私には白髪が1本しかない。(はず)
こんだけ世間で皆が染めている時代にまだ何か染める事に抵抗がある。
私が栗毛色になったら、ああ白髪が増えたのね。って思ってね。
だって、黒いままでいられるのはあと何年かわからないもん。
私は真面目。
でも、本当は全然違う。
それでも、真面目。
バカなんだな。きっと。
昨日は久々に娘に数学を教えてやった。
ま、彼女が聞いてきたからなんだけど。
あしたは数学のお話をしましょう。
午後から秘密日記書きますね。
子供達は学校が休みです。
でも会社はあります。
今日もま、中元の挨拶状やら、考課者の関連づけのホストコンピュータへの登録やら、ちまちま仕事してます。
朝、会社来るときは風だけだったのですが、雨も降ってきました。
ま、うちは高台なんで、うちが浸かるときは市内水没ということなんで大丈夫っしょ。
会社からの帰り道も特に水没してそうなところはないので今日もお気楽に仕事!!
いつもは月曜は土日の分も書くんだけど、この土日はパソコン触ってたので今日はのんびりです。
私って真面目なんです。
ってかその状況に適応しようとしてしまうんです。
それは大人になって、違うンちゃうんと思えばちゃんと言える様にはなってきてますが、どうも優等生になりたがる傾向がある。
中学の時
本当はアタックナンバーワンの影響でバレーがやりたかった。
でも、背の低い私はあかんと言われた。
それでさて、どうしたものかと思ったけどお気楽〜な気持ちで吹奏楽部を見に行った。
笛が得意だった。その程度の理由で。
ま、ピアノは3歳からやってたんで絶対音感はないけど、相対音感はあったし。
しかし、そこから私の運命は回転する。ぐるぐる。。。
もし、あの時、他のクラブに入っていたら本当に人生全てが変っていたと思う。お勉強もあんまし、しないで普通の女の子だったと思う。
歌を歌うことも、楽器を吹くのも好きだった。
でも、裁縫も料理もお菓子作りも、スポーツも何でも好きだった。
入ったクラブは吹奏楽なのに、腹筋は毎日7000回したこともあったし、腕立て、足上げなど、運動部よりはるかに厳しかった。
4月に入部したのに、楽器を手にしたのは8月の合宿。
それまではひたすら体力つくり。
ま、それで根性を養ってもらったんだけど。
1年の時は無我夢中だった。
今のようにコピーが発達してないのもあったけど、楽譜は全部手書き。
書いて覚えるってことだった。
2年生の時に休みもなく、ただただ練習の日々に皆で疑問に思った。
何でやってるの??
それで3年生に辞めたい。と言った。
毎年、2年はそういうこと言うんだよねって言われて、
お前達はコンクールに勝つための道具だ。
人格も性格も必要ない。
そう言われた。
それまでいいつけを守り、クラシック以外は耳が腐ると言われ、歌謡曲などは聞かなかった。
(未だに音楽を楽しんで聞きにくい)
私は特殊楽器ということもあって、プロの先生にレッスンをつけてもらったり、リードの作り方なんかを教えてもらったりした。
生徒会の執行部も毎年、吹奏楽部でしめることがお約束になっていた。
吹奏楽部の人間は完璧でなければならない。
学業もそうだ。
先輩にいつも点数を言わされた。
ビビル顔が見たくて勉強した。
96.7が今までの平均点最高点。その時先輩はマジびびっていた。ザマーミロ。
でも、親の転勤で突然、辞めたくて辛くて仕方なかった部活動から開放された。
待っていたのは案の定のいじめ。
でも、その頃私はとても強い子だった。
勉強で運動で色んなもので認めさせてやる!!
でも中3は楽しい一年ではなかった。
ボエがなかったから。
高校もどっか、吹奏楽部が基準だった。
一個下のランクの学校はそこそこ上手かった。
私が入ればボエを買ってくれるといった。
当時つきあっていた男の子はそこの高校に行った。
迷った。
それで中学の先輩に手紙を書き、相談した。
私なら学力の上の学校に行く。といわれた。
私の中で先輩は絶対だった。
迷いはなくなり、無事に高校に入れた。
いわゆる小編成の吹奏楽部だった。
コンクールの目次で見たことがあるが、相手にするどころか、存在さえ認めていなかった。
ボエを買うお金などないし、結局フルート吹きになった。
そこは音楽を楽しもうとする人たちだった。
理解出来なかった。ずいぶんと長く。
なぜ、コンクールに勝つこと以外に楽器を練習するんだ??
でも私たちの時、初めて銀賞をとった。
もちろん、中・小編成の部門でだけど。
今は皮肉にも大編成で金賞をとり、大きな大会にもいっている。
輪になって合奏する部じゃなくなっている。
私にとって音楽。
何なんだろう??
時折、フルートを吹く。
何か楽に吹ける。気負いがない。
音楽だけじゃない。
結婚生活においても良妻賢母でなければ、と自分を責めてきた。
母が全てにそうしたから。
そんなもんだと思ってた。
やっと、母にも夫にも
私は私だ!!
ありのままの私だ!!
向上するのと、背伸びするのは違う。
そう言えるようになった。
ありがたいことに私には白髪が1本しかない。(はず)
こんだけ世間で皆が染めている時代にまだ何か染める事に抵抗がある。
私が栗毛色になったら、ああ白髪が増えたのね。って思ってね。
だって、黒いままでいられるのはあと何年かわからないもん。
私は真面目。
でも、本当は全然違う。
それでも、真面目。
バカなんだな。きっと。
昨日は久々に娘に数学を教えてやった。
ま、彼女が聞いてきたからなんだけど。
あしたは数学のお話をしましょう。
午後から秘密日記書きますね。
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