久し振りの風邪

2004年3月21日 病気
会社の人はきっと身体が弱いと思ってると思う。

この前のように自殺未遂によって何日か休むこともある。
単に、落ちていて動けなくて行けないときもある。

全て体調不良ということになっている。

上司には健康管理が出来ていないと言われたこともある。

迷惑をかけているのだから、申し訳ない限りだ。

実際に風邪は久し振りだ。
熱があるというのも。

だけど、風邪というと何だか安心する。
人並みだという気がするのだ。

うつの苦しさはなかなか共感してもらえないが、
この頭痛も、間接の痛みも

風邪ならば多くの人に共感してもらえる。


そういう安心感だ。
安心して寝てられる。市民権がある感じだ。


しかし、土曜日、練習が終って前回の演奏会のCDを旦那がかけようとした。
嫌だとおもった。
が、口にする間もなくかけた。

ソロの部分(この日はソリ)で、自分が感じているより音が薄い気がした。

最低音から高音まで幅広い音域のソロであったし、鳴りやすいものを選んだのは確かだ。

すべっているところもあり、それなりのところもあった。

かけている時にやめてくれと言えばよかった。
言えなかった。


あの時の空気が帰ってきた。
あの時の気持も帰ってきた。

苦しくなった。

それを夫に告げた。
「CD聞いたら、いろいろ思い出して苦しくなった」

彼は
「あっそう」

それだけだった。

夜になって「あっそう」だけは無いんじゃないの?
人が苦しいと言ってるのに。と話した。

いつもそうであるように
何も返って来なかった。
彼はただ、私が言うのを諦めるのをじっと沈黙という形で待つ。

我慢強いのか?
心が弱いのか?

その時は本当に悪い事をした思うのだろう。
しかし、次の瞬間、また同じことを繰返す。

そしてそれを言葉にして告げられるまで、同じ失敗をしたことがわからない。

そして、悪意が無かったのだから自分は悪くない。
そう、まず自分をかばう。

私に言いこめられる。
あやまる。
黙る。
そして待つ。

同じことの繰り返しだ。いつまでたっても。

主治医に言われた
「楽しようと思ってはいけない。あなたのことばで彼女を殺しますよ。」

もう、忘れている。


書いている今は24日。
職場だ。
這うように午後から出社した。

友人にメールの返信をせねばと思う。
やらねばならない緊急の仕事だけしたら、仕事をする気はなくなってしまった。

もう少し元気になったら、返信します。

もう3月も終わりだ。
4月からは複団する。

吹けるのか?

演奏会というのは単なるキーワードでしかない。

演奏会が怖いのではない。

あの時の絶望感と死が怖いのだ。

行ってみないと分らない。

もう吹けないかもしれない。

案外何も感じないかもしれない。

楽しむために音楽をしているのだ。
楽にやればいい。

夫には牧師先生のところにちゃんと通い、人の心というもの、人と暮らすということ。
思いやるということ。
いろんなことをきちんと勉強すべきだ。

そして病院にも一緒に行き、きちんと現実を受け止めるべきだ。

と言った。
分ったと言っていたが、半分も分ってはいない。

教会へは私が行けないなら行く意味がないくらいにしか思ってなかったのだろう。もう随分行ってない。仕事を優先している。
教会に行くために仕事をヤリクリするのが面倒なんだろう。

病院も行っていない。

家事ができない。

それは受け入れている。
しかし、物理的に受け入れているだけで何故できないのか
できない私の苦悩などは見ようともしない。

家の中は散らかり放題。
お弁当の夕食の毎日。

母はそれを非難するが、非難されてもどうしようもないのだ。

どうして空が飛べない。
空が飛べないなんて人間失格だ。

と言われているようなものだ。

それでも言いつづけなければいけない。
牧師もそういう。
私もそう思う。

でも、彼はその点ではまるで変らない。微動だにしない。

私が死んでも
「あっそう」
で終るかもしれない。

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