落ちてます。

2004年3月20日 病気
落ちてます。

個人的中傷ではありません。
ただ、思ったことを素直に書くので気になさらず、さらっと読んでください。

秘密日記の中で

日記見てると、自分で鬱だ鬱だって書いてるけど、
 そんなに鬱でもないような気がするよ?
 日記では元気なのかなあ。

これはほんまに励ましてくれたんだと思うし、悪意なんてないんだと思う。

ほんまに責めてるんじゃないんです。

なんか私の周りの人間はそれなりに病気を理解し、
こいつ、ちょいと間違ったら死ぬんじゃないかという気持を持ちつつ、
それでも元気な時もあり、全てを受け入れざるを得なくなり、
私を落す言葉は少なくなっていた。

以前はよく母にも言われた。

病気だといって毎日、寝てばかりいられるなら代わって欲しいわ。と。

なんぼでも代わったるわい!!
そう思った。

それでも代わってもらえるはずもなく、

いつになったら治るのかとか、そういう話は止めてくれと言った。

ネット上で出会う人はリアルで出会う人より私は好きだ。
楽なのだ。

ネットの中だから、日記もかける。人と話も出来る。
しかも、職場という拘束された中だから、書けるのだと思う。

家にいたら、きっと寝たきりになる。そう思う。何もできない。
まして日記も書けない。

ネットで出会った人は私のしんどい姿を見ることはない。
この胸の苦しさを見ることもない。

ネットで知り合う人の多くがうつのしんどさを知らない。

言われたら落ちる言葉を知らない。

当り前のことだ。

でも、最近人の言葉で落ちないようにしていることが出来ていると思っていたが、ちょっと違ったみたいだ。

わたしのこのしんどさがやる気の無さがうつでないのなら一体何なのか?単なるなまけものか。そうかもしれない。

色々考えたら日記がもう書けないと思った。

ネット上の全ての人にうつのことをわかってもらうなんて無理だ。
悪意を持ってる人もいるかもしれない。
今回のように悪意なく、私が勝ってに落ちることもあるんだろう。

そう思ったらもう書けないと思った。

でも、今は少し前向きなので、説明するしかないと思えている。

先月、ODして入院して私はものすごく死に近いところにいた。

そのことからまるで何も無かったかのようにしていたが、それは封印してしまっていただけのこと。

本当は生きたいそして死にたいの狭間でもがき苦しんでいる。

死にたいくせに時折、死の恐怖に襲われる。
生きたいくせに絶望で立ちすくんでいる。

流されようと思っている。基本的には。

通院もしている。主治医も確かな人だ。
薬も飲んでいる。

今は仕事だけは何とか出来ている。

これでいいと思っている。

いつか以前に出来ていた家事も少しずつは出来る様になると信じたい。

うつの人間に頑張れと言ってはいけないのは有名だが、あなたはうつじゃないといわれたら、それはじゃあ何なの?という疑問が生まれ、不安になるのだ。

先日会ったゴーストライターの人が私のうつは軽いと言った。

なんでそんなこと言えるの?
何を知っているの?

それは彼の知人との比較かららしい。

私は精一杯のよそ行きの顔をして会っている。

友人に見せる落ちている私は見せていない。

それは私だけじゃないと思う。
私はうつだと人には言いたくない。

会社でも何人かは気付いているかもしれない。

でも大抵の人は明るい人だと思っている。

ちょっと変ってるだけ。と。

精一杯に私は健康を演じている。

うつの人間はお互いにその苦しみが少しはわかる。
眠れない苦しさ。
胸が張り裂けそうな苦しさ。
自分なんてこの世にいらないと思う自己嫌悪。
泣く元気もない空しさ。

それでも個人個人程度に差があり、波もある。

私は今は以前に比べれば元気になった。
前向きに考えられるようになった。

でも治ったわけではない。

ほんの先月、死んでいたかもしれない。

明日、死ぬかもしれない。


この日息子が所属する音楽団に友人、先輩と見学というか体験というかで行く事になっていた。
息子と吹くことなんてないかもしれないと思い、上記の理由で落ちていたにもかかわらず、何とか服も着せてもらい、行こうとしたら熱があることが分った。

私は留守番になった。

「落ちひんかった?」
という問いに
「最後の一曲だけ落ちなかった」と。

最後の曲は行進曲だったらしく、単調なんだろうと思った。
「体力的にはしんどくなかったけど、すごく気持が疲れた」そう息子は言っていた。

初見は基本的にはそうかもしれないし、それ以上に社会人バンドで吹くのはしんどかったんだろう。

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