葬式

2004年3月19日
私の周りでとにかくこの1・2年、葬式は多かった。
そういう時期なんだろう。

昨日、ふと風呂に入っていて寒気がした。
(窓が開いてて風が入ってきたのではない)

先月入院していて、意識が戻った際、というか眠ってはいるんだけれども限りなく目覚めに近い状態だったのだろう。

夢を見ていた。

それに対し、自分の見ているものが夢であるとは思ってなかった。
現実にろれつの回らないながら、母に抗議していたらしい。

うわ言?

自分でも抗議していたのははっきりと覚えている。
でも、鮮明に抗議していたはずが現実には何かわけわからんことを言っていたらしい。

わりと大きな部屋に祭壇があり、明らかに葬儀をしているのだ。
読経している。人もたくさんいる。

会館というのではなく、和室だった。
私は靴をぬいで上がる板の間にふとんをしいて寝かされている。

そのざわざわした中で人が動く気配がする。

物凄い邪魔な位置に寝ている。

現実なはずがない。
しかし、夢というのは現実では考えられない事を真剣に考えているものだ。
自分が邪魔な位置にいると思った。

「ここに寝ていたら迷惑になる。どこか別のところに寝かせてくれ」と母に訴えていた。

ところが母は「ここで寝ていたらいいから、じっとしてなさい」
という。これは現実に言っていたものと思われる。

私は分けが分らない。なんでこんな邪魔な位置に寝かせて母はそれでいいと言うのだろう。また抗議した。

また寝ていろといわれる。

それが昨日風呂に入っていて突然おもいだしたのだ。
あの葬式は私のだったと。

思い出した瞬間、寒気がした。
自分の葬式なのに、自分は寝ている。

これってほんまに死んだ人もそうなんと違うかな?って。

生と死の間にいたのかなって。

私は葬儀の棺おけには寝ていなかった。
靴を脱いで上がる板の間と祭壇には距離があった。

それは死との距離だったのかもしれない。
ほんまに寒気がした。


私の葬式は仏式ではしないでください。
キリスト教でしてください。



最近、よく仏教についての記述を読む。
キリスト教との対比も書かれているが、キリスト教をあまりに理解せずに書かれているのが悲しい。
仏教というか、日本の仏教は生活に密着したものだが、キリスト教は日曜だけ教会に行くパートタイム宗教だ。みたく書いてある。
教会に行くというのとイエス様を信じるというのは全然違うものなんすけど。

とちゅうですが、パソをちょいと立ち上げ直すので一旦、Upしてまた書きます。

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