実は今は2/9です。
退院してきて会社にもあいさつも済ませてきて、来週から出社運びとなりました。

はて、この日ねぇ・・・・。
っと家のパソは会社のと、若干手座触りと変換とかとちごて
うちにくい。

そのうえ、ちょうっと、脳がまだこういしょうでちゃんと字がうてません。こんなこともあるんですね。
携帯も打てずに。おとうとに画面を出しては入院してるからごめんって打ってもらっていました。そんなことができないんですわ。
なんで、これから誤字脱字とうとう御見苦しいとはおもいますが、
来週、出社する頃には治ってるとおもますんでゆるしてつかーさい。
ああ、会社は良い環境。

っと。この日何らかの事情で寝るのが遅くなったのでしょう。
ので、眠財は飲んでいませんでした。  それがいけなかった。
先日のTさん話もしたかったり、いろ色話したい私としては100のうちの1を旦那に話したんだと思います。

しかし、飛んできた答えはうるさい!寝かせてくれ!
彼は寝かせて欲しかったのです。私を受け入れる余裕などどこにもなく自分のことでいっぱいいっパイだったのです。
彼は彼で新しい職場でがんばると言う重圧があったと思います。うつのよめはんに偉い目にあってる鬱憤もあったんでしょう。
子供は学校には行けへんし、どいつもこいつもでいっぱいいっぱい
やったんでしょう。

でも、それは彼だけではなく、私もそうだったのです。
落ちても平気よー なんて、いいつつ、転職にエネルギーをつかい、
落ちた私はいっぱいいっぱいだったんですよ。

全部、彼に受け止めて欲しいとは言いません。
でも、ちょっとだけ受け止めて、今日はこの変にしてくれへんか。
ぼくも疲れている。またはなそうね。

そういう余裕も彼にはなかった
たんにタイミングの問題だと思います。

死ねと言われたと感じました。
なんで?
というわれるでしょうが、病気だからでしょうか?
ひどい人になると死にたいならサッサと死ねばいいのよ。
というでしょう。うつ病者が全部死ねばすっきりしますね。
でも、死ねといったあなたがいつ、うつ病になるかなんて
わかりませんよ。その時にでも死ねと言えますか?


明確に正確に死ねるとは思いませんでした。
べげを22・3錠とありったけの薬を飲みました。

正確にはこれは冬山に行って飲んで凍死するよていのものでした。

100条貯めたら死ねるとおもってましたが、今日主治医は後遺症は残るが死ねませんよといわれました。ODは止めといたほうがいいよね。

あとの記憶はありません。

気がつけばチューブだらけにされ、タンを吸われているらしく、苦しかった。その後も何度か地獄はつづきましたが、
胃の洗浄は5回もしたそうなので、意識が無くてよかったっす。


私の意識の中は病院ではありませんでした。大広間で葬式の末席に私はふとんをひかれているのです。
しきりと母に文句を言いました。だいいち。葬式に迷惑やんか。

母は病室にいて、何を言ってるのかわからなかったようです。

私は自分の葬式香とおもっていたのかもしれない。

ということで管を通されまくり、点滴されまくりでひどい目になって、私の意識はここが病院だと少しずつ回復していったのでいた。

まだまだ回復してませんが、少しずつ日付けに追いついてくね。
HPにカキコしてくれてる人にもレスするね。

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