今日の日記

2004年1月14日
正月のさんタクのどうとかって番組見ました?
あの中でカヌーやってたの見ました?

「あんな川だったじゃん!」

家族で叫びました。

そう、私はこの夏死にかけました。

あほです。

娘にはこれは危険だと私は止めたのに、ママは!
と言われる始末。

キャンプに行ったんですよ。2泊3日で。設営の間は良かったんですがね、降り出したんです。しかもハンパじゃない雨が。以前長野に行った時も管理人さんに雷なったら車に避難してくださいね。って言われて他の車のドアの開け閉めの音にビビっていたことあったんですけどそれ以上の我が家初めての大雨。買い換えなきゃねっていって10年も使ってたテンとは耐えられましぇん!!ドーム型ではなくお家のような作り(ごめん、度忘れした)だったので寝るとこはましなんですけど前室はひどい雨漏り。タープは何とか大丈夫でしたんでそこでご飯食べたりしてましたが、ひどい目にあいました。
帰る日になってようやく雨がやみ、陽がさしてきたじゃあ〜りませんか!
川で遊ぶためにそのキャンプ場を選んだ私達は浮輪を手にちょっとだけ遊ぼうということになって川に。すでに同じ様な思いの人でたくさんでした。

私は怖がる娘に「大丈夫だよ。そこまでやし」
と夫と息子が座ってる川辺の上流から浮輪にうつ伏せになり手を振って流れて行きました。
気持ち良かった!!

娘に回りの人に冷たい視線で見られてたよというのに「気にしない、気にしない」と2ndトライをしたわけです。(調子乗りすぎ!!)

夫や息子のところに着く予定が若干岸から離れてしまいまして「おお!」っと思った瞬間バランスを崩し、浮輪はポーンと飛んでいく。私は濁流に飲まれる。ひえ〜っ!!!!!!!!

上から水がどばどばかかってたんで私の姿はあまり見えなかったらしいんですね、ほんで旦那は必死で走って隣のキャンプ場の人に人が流れて来なかったですか?と聞いたらしい。そしたらそのキャンプ場のおばちゃんが救急車を呼んでもうた。

そのころ私は結構、冷静でした。
やば〜って水の中で思ってました。
結構色々考えるもんです。あんだけ死にたいって思っててんし、死ぬんかな〜とか。でもここで死んだらえらい迷惑かけるし、何とかせなと。
途中上向いてるのか下向いてるのかも分らない深さもあったけど基本的には浅いのでなんとか立とうとするけど水の勢いでだめなんです。
必死に岩にしがみつこうとするけどだめ。

祈る事にしました。
「イエス様、助けてください!」
10回目くらいでしょうか、大きな岩陰で流れの緩やかなところにひょいと流れ着きました。

「助かった」
でも、立つ気力も体力もない。

でも皆心配してるやろから早よ戻らな、と思い崖を攀じ登り田んぼをつっきって道に出てキャンプ場までよろよろと歩いて行きました。

キャンプ場を抜け、川辺にいたのは子供達。

「大丈夫?おかあさん」
息子に声を掛けられ、「へへん、大丈夫に決まってるやん」

などと会話するうちにピーポーピーポー
あれ?もしかしてそれって私?
走ってくる救急隊員に向かってとぼとぼ歩いていく。

「流されたのは子供さんですか?」
「いいえ、私です。」
「え?ご本人ですか?」
「はい、ご迷惑おかけしてすみません」

でも、はいそうですかと帰るわけにはいかないそうでその時の状況やら住所やら氏名やら書かされ、次に駐在さんが来て、同じ様に書かされ、説明させられ、しまいにゃ県警まで来て同じことの繰り返し。
周りのやじうまには「あほ〜!」光線をたっぷり浴び、ごもっともと恐縮してとほほ。
二度と行けんわ、あのキャンプ場。
あの時のアホは私です。
誠に申し訳ない!!!!!

警官によると100Mくらい流されたらしい。
時間にするとほんの数分なんだろうけど、私にはもっと長く感じられた。

未だに水がちょっと怖いです。
っていうかうつになって以来、水が怖かったのね。
この時の暗示だったのか、本当に私は水死するのか。

正月早々、あの番組見て恐怖が蘇り、家族からはあほ攻撃受けるし。

みなさん、自然をなめるのやめましょう。(お前が言うなとつっこみが聞こえる…)

Yちゃんとの喧嘩秘話を書く予定でしたが、急遽思い出しので書いてまいました。

私は人生で2度友達を傷つけたと後悔している事件があります。そのうちの1つがYちゃんとのこと。

そのYちゃんとは大学で4人仲良しでした。
いつ、なぜ4人だったかよく覚えてません。
しかし、校風とは異端の4人だったと思います。
っていうか1人だけはお嬢様風だったけど。

Yちゃんは彼氏が大好きでついついあとの3人より彼氏優先でした。S子はことのほかそのことが不満だったみたい。R子は何にも考えてない。私はま、そやろなって感じで別に何とも思ってなかった。
それなりに楽しく馬鹿笑いして4年の卒業まじかの秋
Yちゃんが1万人の第九を歌いたいと言い出した。
私は大賛成!!あとの二人は「ならついてく」程度。早速申し込み練習に。
あれね、練習が多いの。原語で歌うんだから当然なんだろうけど私達はいつも練習会場でとりあえず出欠に○だけしてとんずらしてちっとも練習しなかったわけです。
リハは当然本番用の大阪城ホール
オケも何とか直純(また度忘れ)もスタンバッてすごい雰囲気。1万人もおんねんから私ら4人くらい歌えへんかったって問題なーし。と軽い気持で行ったわけです。
休憩時間だったかなあ?
写真入のLPの申込みに行った。
Yちゃんは申し込んだんだけど私は迷っていた。
単純に迷っていて、後で申し込もうと思った。
ところがオケが入って本番さながらの練習になって私の頭は後頭部を殴られたような感じがした。
どうも私は吹奏楽とかオケとかの音にそわそわする心を持っている。普段でもそうなのに向うはプロ。
バリバリで当り前。
こっちは1回も練習してないうえ、ドイツ語読めずよって歌えない。
分りきっているこの事実を後頭部にぶつけられてしまってノックダウン。
激しい自己嫌悪。すごかったっす。
どういう理由だったか忘れたけどYちゃんと3人と別に帰ることになった。

残りの二人はもともと乗り気じゃない上、10回くらいあった練習のとりあえずの○付けにもYちゃんは彼氏との都合で来なかったことを激怒していた。
そこへ私がものごっつう凹んで「出たくない」
なんて言ったもんだから、「やめよう!」と盛り上がってしまった。
上記の理由故、Yちゃんは反論する資格ないと言われればそうやなと自分を納得させ、Yちゃんに悪いというより、とてもあの場に立てない苦しさから私は逃げた。

次の日、それをYちゃんに告げると激怒した。
そこから私達はすれ違い、Yちゃんは結局一人で本番に出席した。立つ事が目的だから歌えなくていいと。
それは卒業式でも続き、とても嫌な気持で私達は別れた。

長いことそのことは私の汚点となった。
でも、数年前Yちゃんは別に気負ってでもなく、「あのころは彼氏のことしか考えられへんでほんとに悪い事したと思ってんねん」と謝ってくれた。

あれだけ長年苦しんだ汚点はYちゃんの言葉で嘘のようになくなってしまった。

3年前、1号の第九を歌うのを聴きに行った。
感動した。

今度はきっと私が歌う!
いつかきっと。


話は変って昨日、くさなぎつよしのドラマ見ました。旦那も見てて「『家政婦じゃない』って言ってたね」と…
この話はまた明日。

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