仕事あります。
2003年12月3日くだらない仕事なんですけどね、なんか時間掛けてもいいって言われてるし、凝ったの作っちゃおう!なんて思いまして午前中もあっちこっちで素材探ししてようやく1バージョン作り、午後から別バージョンを作ろうかと思ってます。何か作るってのは良いですね。プログラム書いてちゃんと動くと嬉しいのでプログラム書くのも好きですが、うまく動かない時がしばしばあるので『き〜!!』っとなって「どこが悪いねん、言うてみぃ!おい!」などと一人でパソコンにあたり散らし自分の頭の悪さにうなだれることもしばしばなので、今日のようにどうでもいいものをつらつら作るってのはいいですね。
昨日も夫と話をしました。
風呂に入ってると「あかすりしてやろか?」などと言ってくれたので彼なりに努力をしてるんだと思います。ありがたいことです。
ほんでも、18歳の時私の心はガラスが割れるように粉々になってしまったのだということ。それ以降生きていくと云ふ積極的な気持はないということ。大学時代も彼とのことは楽しくなかったこと。
結婚、出産、転居が大きなターニングポイントだったんだろうということを話した。
私と彼はどちらかが付き合ってくださいと言ったわけじゃない。私にはあこがれの先輩で卒業する時「頑張ってください」みたいな手紙を渡した。そしたら下宿先の住所を教えてくれて文通が始まった。っといっても私が日記を書き、1週間たまると投函する。彼からは5通も返事が来ていない気がする。その手紙も好き好きというものではなく、誰とどんなことがあったとか、本当に日記。でも、彼には毎週来るその手紙がすごい楽しみだったらしい。
私が彼にあこがれているというのは皆知っていたし、彼も冷やかされていたし、彼の中にはだからつきあってやってるみたいな気持があったんだと思う。18才までは私には彼は完璧な「先輩」であり、大好きな人だった。
でも、あの日心が壊れて以来、私は彼が好きではなかった。だから大学時代も耐えられなくなって半年は別れてくれと頼んだ。半年後会うからと約束して。その時に彼は泣いてよりを戻してくれるよう頼んだ。私もなんともいえず懐かしさもあり、愛してくれる大事にしてくれるといってるんだから、もう一度やりなおしてみようかと思った。
そのあたりから二人の気持は食い違ってたんだと思う。彼は私が彼を大好きだと思っていたのだから。
私は彼と結婚して子供を産まなくてはいけない。
そして幸せにならなければいけない。と思い込んでた。
それしか生きる道はないと思っていた。あのころはそれでも死を選ぶというよりその唯一の道を生きることを頑張ろうとしたんだから、うつは軽かったのかもしれない。
結婚する時も楽しくなかった。
でもしなくちゃいけないと思っていた。
彼が私の両親に私をくださいといったのも逸話がある。「今日、くださいってご挨拶に行くからそう言っといて」と言われて私は両親にそうだそうだよ。と話す。2〜3時間世間話をして彼はお邪魔しましたと帰って行く。「言い出せなかった」と。
3回目の帰って行った時駅まで送りながら「あんた、バカじゃないの!うちの両親の気持や私の気持はどうすんのよ!言えないんだったら結婚しないから!」というと「ほんなら、言いに行けばいいんやろ!」と引き返し家に入って唐突に「嫁にください」と言った。私の両親は基本的には賛成ではなかったが、反対しても仕方ないからと思ってたのでわりとあっさりOKしたのだが。
彼はそうやって追い詰められないときっかけを自分で作ることができない自分ではプライドが高いと思っているが傍から見るとおばかである。
そんなこんなでいやなことばかりの後結婚した。
それでも私は「幸せにする」という彼の言葉を信じたかったし、人生1からやり直そうと思っていた。
ところがそのころ彼は仕事が大変だった。
なぜその仕事についたか、なぜやめたか色々なのだが基本的には計画性無くプライドのみ高いから。
私と結婚して会話することはなかった。
黙って夕食を食べ、新聞を読み、寝る。
休みもない。
住み慣れた街を離れ、言葉も文化も違う地方に行った私はエアロビクスに通ってみたり、習い事をしてみたり何とか一人で楽しもうと思った。
でも一人で暮らしてるわけではないのに、会話のない生活もちろんセックスもない。
わたしから誘ってみる努力も必要ねと「ねぇ、ねぇ」というと「俺はお前みたいにセックスが好きじゃない」と言われた。「は?」って感じだった。
一月もしたころたまりかねて「何で話ししてくれないの?」「なんで結婚したの?」「私はお手伝いさんじゃない」と切れてしまった。
「会社で何があったのか聞きたいんか!」
とだけ言われた。「は?」って感じだった。
子供でもできれば変ってくれるかもと思い、「子供が欲しいので協力してもらえませんか」と頼んだ。
それには協力してくれてめでたくすぐに妊娠した。
新たなスタートのつもりがまたどつぼにはまっていくんだけどこの続きはまた明日。
昨日も夫と話をしました。
風呂に入ってると「あかすりしてやろか?」などと言ってくれたので彼なりに努力をしてるんだと思います。ありがたいことです。
ほんでも、18歳の時私の心はガラスが割れるように粉々になってしまったのだということ。それ以降生きていくと云ふ積極的な気持はないということ。大学時代も彼とのことは楽しくなかったこと。
結婚、出産、転居が大きなターニングポイントだったんだろうということを話した。
私と彼はどちらかが付き合ってくださいと言ったわけじゃない。私にはあこがれの先輩で卒業する時「頑張ってください」みたいな手紙を渡した。そしたら下宿先の住所を教えてくれて文通が始まった。っといっても私が日記を書き、1週間たまると投函する。彼からは5通も返事が来ていない気がする。その手紙も好き好きというものではなく、誰とどんなことがあったとか、本当に日記。でも、彼には毎週来るその手紙がすごい楽しみだったらしい。
私が彼にあこがれているというのは皆知っていたし、彼も冷やかされていたし、彼の中にはだからつきあってやってるみたいな気持があったんだと思う。18才までは私には彼は完璧な「先輩」であり、大好きな人だった。
でも、あの日心が壊れて以来、私は彼が好きではなかった。だから大学時代も耐えられなくなって半年は別れてくれと頼んだ。半年後会うからと約束して。その時に彼は泣いてよりを戻してくれるよう頼んだ。私もなんともいえず懐かしさもあり、愛してくれる大事にしてくれるといってるんだから、もう一度やりなおしてみようかと思った。
そのあたりから二人の気持は食い違ってたんだと思う。彼は私が彼を大好きだと思っていたのだから。
私は彼と結婚して子供を産まなくてはいけない。
そして幸せにならなければいけない。と思い込んでた。
それしか生きる道はないと思っていた。あのころはそれでも死を選ぶというよりその唯一の道を生きることを頑張ろうとしたんだから、うつは軽かったのかもしれない。
結婚する時も楽しくなかった。
でもしなくちゃいけないと思っていた。
彼が私の両親に私をくださいといったのも逸話がある。「今日、くださいってご挨拶に行くからそう言っといて」と言われて私は両親にそうだそうだよ。と話す。2〜3時間世間話をして彼はお邪魔しましたと帰って行く。「言い出せなかった」と。
3回目の帰って行った時駅まで送りながら「あんた、バカじゃないの!うちの両親の気持や私の気持はどうすんのよ!言えないんだったら結婚しないから!」というと「ほんなら、言いに行けばいいんやろ!」と引き返し家に入って唐突に「嫁にください」と言った。私の両親は基本的には賛成ではなかったが、反対しても仕方ないからと思ってたのでわりとあっさりOKしたのだが。
彼はそうやって追い詰められないときっかけを自分で作ることができない自分ではプライドが高いと思っているが傍から見るとおばかである。
そんなこんなでいやなことばかりの後結婚した。
それでも私は「幸せにする」という彼の言葉を信じたかったし、人生1からやり直そうと思っていた。
ところがそのころ彼は仕事が大変だった。
なぜその仕事についたか、なぜやめたか色々なのだが基本的には計画性無くプライドのみ高いから。
私と結婚して会話することはなかった。
黙って夕食を食べ、新聞を読み、寝る。
休みもない。
住み慣れた街を離れ、言葉も文化も違う地方に行った私はエアロビクスに通ってみたり、習い事をしてみたり何とか一人で楽しもうと思った。
でも一人で暮らしてるわけではないのに、会話のない生活もちろんセックスもない。
わたしから誘ってみる努力も必要ねと「ねぇ、ねぇ」というと「俺はお前みたいにセックスが好きじゃない」と言われた。「は?」って感じだった。
一月もしたころたまりかねて「何で話ししてくれないの?」「なんで結婚したの?」「私はお手伝いさんじゃない」と切れてしまった。
「会社で何があったのか聞きたいんか!」
とだけ言われた。「は?」って感じだった。
子供でもできれば変ってくれるかもと思い、「子供が欲しいので協力してもらえませんか」と頼んだ。
それには協力してくれてめでたくすぐに妊娠した。
新たなスタートのつもりがまたどつぼにはまっていくんだけどこの続きはまた明日。
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